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zoom RSS 安楽死を遂げるまで 宮下 洋一 西部邁氏の自死と合わせて考える

<<   作成日時 : 2018/02/13 21:36   >>

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2018年1月21日、評論家の西部邁氏が78歳で入水自殺した。
かねて「自分で判断できなくなる前に自分の命を絶つ」と宣言していた。
壮絶な尊厳死だ。冬の多摩川に自ら身を投じての覚悟の死。

今は「死ねない」時代。
健康寿命と本当の寿命の間に10年もの期間があるというのは異常事態だ。
その間病人として、改善の見込みもないのに手術、投薬を受け続ける。
患者が家に帰りたい、駐車は嫌だなどと抵抗すると、
ベッドに縛り付けてでも医療行為をする。
とにかく医者は「生かす」のが仕事なのだ。死は悪なのだ。

という自分の認識、前提がある中で、この本を読んだ。
安楽死、自殺ほう助、尊厳死を認めている各国で、
実際にどのようにそれらの行為がなされているかを、
著者は身体を張って取材している。
今日これから死ぬ人物と話もしている。
さすがにその瞬間に立ち会うことはなかった(ひとつくらいあったか?)
が、直後に臨終している当人を目の当たりにしていたのは確か。

著者は家族や周囲の人との関係に着目する。
ほんとうにひとりであれば、自分の意思だけで死を選べる。
しかし周囲の関係者がいる場合は、なかなかその判断ができないのでは、
生きようとするのでは、と考える。
ある医者はそれをエゴという。当人のことを考えないエゴと。

私もどちらかというとその医者に賛成する。
「生きていてほしい」身近に死を知らない人であればまずそう思う。
特に親。生まれたときから親はいたのだ。親のいない生活を知らない人が、
いなくなってもいい、と言えるわけがない。
自分の世界を壊したくないのだ。それはやはりエゴだ。

医療が進歩しすぎた。今までであればあきらめてもらうことが、死なずに済むようになった。
それも健康に生きられるならありがたいが、そうではなく、
苦しみ、生き恥をさらしながら、かろうじて生きているだけ、死んでいないだけ、
という状況でしかない例が多い。
そういう立場になった患者が、自分の意思があった場合、死を選ぶことをなぜ否定できるのか。

その人の存在が無くなることに周りが耐えられないことと、
生=正、死=悪 という先入観だけではないか。

私はそれよりも本人の尊厳が大きいと思う。

日本人はいわゆる宗教の意識が薄い。
代わりに、どんなものをも敬える資質を持っている。
なので死を忌避する必要はないはずなのだ。
草葉の陰から見ているぜ、でいいはずなのだ。

海外で少しずつ理解が進みつつある安楽死、尊厳死。
著者はこの二つの言葉の意味の違いにも触れているが、
私はあえてこだわらない。
日本においては一向に進まない。
そのために、安楽死に協力した医者が苦しい思いをする。
患者の思いに沿った医者を守ってやれない。
家族が、看護婦が、教授が裏切る。自分を、組織を守る。

借金苦や人間関係で死ぬのとは意味が違う。
身体や頭が壊れていく中で、自分の生を保つために選ぶ死。
これを否定してはいけない、と私は思う。

考えさせられる良書だった。
著者の取材の力には頭が下がる。


第1章 安楽死の瞬間「スイス」
第2章 僕が死ぬ日にパーティをしよう「オランダ」
第3章 精神疾患者が安楽死できる国「ベルギー」
第4章 「死」を選んだ女と「生」を選んだ女「アメリカ」
第5章 愛か、エゴか「スペイン」
第6章 殺人医師と呼ばれた者たち「日本」
安楽死を遂げるまで
小学館
2018-01-05
宮下洋一

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