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zoom RSS 修業論 内田樹/著 光文社新書 修業とは何か

<<   作成日時 : 2014/09/29 20:57   >>

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内田さんの本は面白い。
ツボに嵌る。
私も合気道をやってみようかしらと思うほど。
でもまあ私の修行はマラソンだよなと思いつつ。
・・・師匠は欲しいなぁ。

今回4編からなるこの新書で一番感心したのは、
その師匠のところにすみこんで、全く稽古もつけてもらえず、
身の回りの世話だけしていて、あるとき、
通い弟子と闘ってはるかに腕が上になっている、というもの。
身の回りの世話をすることで師匠の呼吸と同期することで
何かを会得しているというのだ。
前著でもあったが、この目的のためにこれをやる、という合理性がない住込みの世話が
修行になるという世界。
こういうのは好きだなぁ。
思えば私もこのためにこれをやるってのは本来苦手。結果出ないから。なかなか。
いつかは実る、というのが性に合ってる気がする。

司馬遼太郎が竜馬の修行を描かない、というのも面白い。
これも「合理性」が鍵。
司馬には合理性のない修行が理解しがたかったと推測している。
しかし達人となった竜馬の振る舞いは正確に描いているという。
達人だからこそ臨機応変に武器を変え、世の中を変えることが出来たと。

おお、自分も目指すのはそこ。
何かに固執した瞬間守りに入り発展がなくなるものと心得る。
守旧派にはなりたくない。

そもそも修業とは、無敵になることで、無敵になるとは、「守るべき私を忘れた時」だという。

自分を消して俯瞰して世の中に反応する?

なんかよくわからないが、入口が少し見えてきた気もする。

。。。やはり師につくべきかなぁ。



まえがき

I 修業論―合気道私見
第1章 修業とはなにか
第2章 無敵とはなにか
第3章 無敵の探求
第4章 弱さの構造
第5章 「居着き」からの解放
最終章 稽古論

II 身体と瞑想
(1) 瞑想とはなにか
(2) 武道からみた瞑想
(3) 「運身の理」と瞑想―武道修業のめざすもの

III 現代における信仰と修業

IV 武道家としての坂本龍馬
(1) 修業―なぜ、司馬遼太郎はそれを描かなかったのか
(2) 剣の修業が生んだ「生きる達人」

あとがき
修業論 (光文社新書)
光文社
2013-07-17
内田 樹

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